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東京高等裁判所 平成11年(う)1202号 判決 2000年2月28日

主文

原判決を破棄する。

被告人を死刑に処する。

押収してある包丁一丁(東京高等裁判所平成一一年押第三一四号の1)を没収する。

理由

一  本件控訴の趣意は、検察官齊田國太郎作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人石川弘作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、本件は、被告人が平成元年一二月に犯した強姦致傷等事件の被害者である女性が警察に被害申告したことを逆恨みして、右事件から約七年後に右被害者を殺害して報復したという凶悪重大事犯であり、このような報復殺人は刑事司法に対する重大な挑戦ともいうべきものであって、極刑をもって臨むよりほかないのに、原判決は、犯行の罪質、理不尽な動機、執拗で残忍な犯行態様、無惨な結果、遺族の峻烈な被害感情等について不当に軽く評価し、その一方で、殺人の被害者が一名であること、殺害動機が利欲的でないこと、緻密、周到な計画的犯行とはいい難いことなど承服し難い理由を挙げて死刑選択を回避したものであり、また死刑が適用された同種事案と比較しても量刑の均衡を著しく欠いたものであるから、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は、軽きに失して不当であり破棄を免れない、というのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて量刑の当否を検討する。

二  本件犯行に至る経緯及び犯行状況は、概ね原判決が「被告人の身上、経歴、犯行に至る経緯」及び「罪となるべき事実」において認定するとおりであるが、本件は、かつて強姦致傷、窃盗、恐喝未遂の事件(以下「前件」ともいう。)を起こした被告人が、その被害者である甲野花子の警察への申告により逮捕されたことに怒りを覚え、右事件による七年間の服役を経て出所した後、同女の住居を探し出して待ち伏せし、予め準備した包丁でその腹部及び胸部を突き刺して殺害し(原判示第一)、その直後、その所持金品を窃取した(同第二)という極めて凶悪重大な事犯であって、原判決も、被告人の刑責は重く、これを死刑に処すべきとする検察官の主張は傾聴に値するとも述べているところである。したがって、本件については死刑選択の適否について慎重に検討すべきものである。

ところで、死刑選択の基準については、最高裁判所昭和五八年七月八日判決(刑集三七巻六号六〇九頁)が、「犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合には、死刑の選択も許される。」旨判示し、その後右の考え方を踏まえて多くの裁判例が集積されている。そこで、この点を踏まえて、本件について具体的に検討していくこととする。

1  犯行の動機

本件の発端となったのは、平成元年一二月の深夜に被告人が仕事帰りの本件被害者に声をかけて居酒屋でともに飲酒した後、肉体関係を迫ったもののこれを拒絶されたため、同女を強いて姦淫し、その際全治約二週間を要する頚部縊創等の傷害を負わせた上、金品等在中のショルダーバッグ一個を窃取し、更にその数日後、右事実を種に金員を喝取しようとした事件である。被害者が右被害を警察に申告したことから被告人は逮捕され、同二年三月東京地方裁判所で強姦致傷、窃盗、恐喝未遂罪により懲役七年の刑に処せられることとなったのであるが、被告人は、これを恨んで出所後被害者の住居を探し出し、本件殺人の犯行に及んだものである。その動機は、被害者に対する筋違いの恨みを殺意に転じたものであって、理不尽、身勝手、短絡的なものである。しかも、前件時の被害者の検察官長所(原審甲57号証)等によれば、被害者は首を絞められて失神していたため、意識を回復してからも果して自分が強姦されたかどうかも判然としない状況で悩んでいたところ、被告人からの電話で、「あんたの出方次第では、強姦されたことを会社の人に言うよ。」「君の秘密を一〇万円で買ってくれ。」などと脅し付けられて金員を要求されたこともあって、これらをすべて警察へ届け出た経緯が認められる。要するに、被告人は、被害者に対して強姦致傷及び窃盗の被害を与えたばかりか、この種の被害事実を知られた場合には勤務先にいられなくなるのではないかとの被害者の困惑、恐怖心につけ込んで、自己の犯行を種に被害者を脅迫して金員を喝取しようとした卑劣かつ悪辣な行為に及んだところ、被害者が被告人から「警察に言えばどんな目に遭うかもしれないぞ。」と口止めされたのに、これを警察に申告したことを裏切りであるとして深く恨み、殺意を抱くに至ったというのであって、理不尽の極みというほかなく、本件犯行の動機には全く酌量の余地がない。

2  殺意の発生時期及び犯行の計画性

本件における量刑を検討するに当たり、殺意の発生時期ないしその形成過程がどのようなものであったのかが極めて重要な意味を持つけれども、この点について、原判決が「事実認定の補足説明」の項において認定、説示するところはすべて正当として是認することができる。すなわち、関係証拠によって動かし難い事実として認められる、七年余り前の被害者の「○○団地に住んでいる。」旨の僅かな言葉を手掛りに、出所して二日目の平成九年二月二三日から同団地へ行って被害者の住居を探し始めたこと、出所後八日目で、被害者宅を突き止める前の同年三月一日、実際に被害者殺害に用いた包丁を購入するとともに、絞殺のための凶器であるペット用ロープも購入したこと、犯行日間近になって包丁の柄に滑り止めのビニールテープを巻き付け、犯行日の前日には持ち運ぶのに目立たないように生活情報紙で包丁の鞘を作り、自己の衣類の一部を本八幡駅のコインロッカーに預けたこと、犯行当日の朝、右包丁を持って被害者宅の前まで行き、付近で被害者が部屋から出ていく姿を認めて殺害しようとしたものの、階段を下りてくる足音がしたことから犯行を目撃される危険を考えるなどしていったん犯行を思いとどまり、同女の帰宅を待つこととし、包丁をセーターで包んで被害者宅玄関脇のメーターボックスの中に隠し、夕方に再び○○団地に戻って包丁を取り出し、被害者を待ち伏せしたことなどの各事実を総合すると、被告人が札幌刑務所を出所した時点で被害者に対して確定的な殺意を抱いていたことが強く推認される。これに被告人が捜査段階はもとより、原審公判廷における検察官による被告人質問の際にも、当初から確定的な殺意を有していた旨明言していたことなどを合わせ考慮すれば、被告人が札幌刑務所を出所した時点で被害者に対する確定的殺意を有していたものと認めるに十分である。更に、被告人が札幌刑務所を出所する前から被害者に対する殺意を抱いていたかどうかの点については、被告人は捜査段階で検察官に対し一貫して、「強姦致傷などで逮捕されたときから、約束を破った仕返しに甲野さんを必ず殺すという決意があった。」、「甲野さんが警察に訴えないと約束したにもかかわらず、警察に通報して警察官に私を待ち伏せ、逮捕させた行為が許せなかった。」などと供述しているところ、右各調書における供述記載には、被告人の心情や被害者とのやりとりにつき捜査官が誘導することの困難な点が少なからず含まれているばかりでなく、被告人は本件犯行から八日目の平成九年四月二六日に逮捕されたが、その直後に当番弁護士がつき、接見の際同弁護士から本件は極刑もあり得る事案であることを指摘されていたのであり(被告人の当審公判供述、原審乙12号証)、そのような事情を理解した上で取り調べに臨み、右のような供述をしていたことが認められること、原審公判廷においても当初は、「捜査段階のときは自分の本音を吐いたと思います。」、「(前件で逮捕された際)まんまと裏切られたもんで、必ずぶっ殺してやると考えたんです。」、「(服役中も)出たら復讐することを考えていた。」等々、前件で逮捕されたときから被害者殺害の気持が生じていたことを認める供述が随所にみられることなどの諸点に照らせば、その信用性は十分である。そうすると、被告人は、前件で逮捕された時点で、手段、方法等の具体的な内容は別として、出所後に必ず被害者を殺害しようと決意し、服役中も被害者を殺すことばかり考えていたのではないにしても、その決意を持続させ、出所後殺害計画を具体化させ、遂にこれを実行したものであるとする原判決の判断は、これをそのまま是認することができる。

以上を踏まえて、犯行の計画性についてみると、被告人は、札幌刑務所を出所して二日目には被害者の住居探索に着手したが、住人でもない自分が調べ回っていると怪しまれるとして、七棟(二〇〇〇戸以上)からなる○○団地を一日に一棟だけに限定し、仕事の休みの日を使って各棟一階の集合郵便受けを調べるうち、遂に一号棟四一〇号室の被害者宅を見つけ出し、被害者を殺害するための包丁等をその前に購入して準備し、また右包丁には滑り止めのビニールテープを巻き付けるなどし、更に、犯行後は居住先を引き払うつもりで、衣類の一部をコインロッカーに預けるなどの準備を整え、被害者の出勤又は帰宅の際を狙うことや被害者に対して前件につき被害申告したことの恨みを晴らしにきたことを宣告した上で殺害するという段取りを練るなどして、本件犯行当日の朝、被害者の出勤時に殺害を敢行しようとしたところ、第三者から犯行を目撃される危険を察知するなどしていったん犯行を思いとどまり、改めて同日夜に被害者を待ち受けて犯行に及んだのであって、執念深く、強固な殺害意思とともに、周到で高度な計画性が認められるというべきである。

3  犯行の態様

本件犯行の態様についてみると、被告人は、帰宅する被害者を待ち伏せした上、二人だけが乗った密室状態の動き出したエレベーター内で、まず相手が「甲野花子」であることを確認の上、「俺のことを覚えているかい。」と声をかけ、思い出しかねている様子の被害者に対し、刃体の長さ二〇センチメートル余りの鋭利な包丁を鞘から抜きながら、「七年前の事件のことは覚えているか。」と言って、殊更に被害者の恐怖心を引き起こさせるように仕向け、極度に驚愕した被害者が一瞬の虚を衝いて被告人から右包丁を取り、丁度四階でエレベーターのドアが開くや、「助けて。殺される。」などと大声で助けを求めながら逃げ出したのを追いかけてエレベーターホールの壁際まで追いつめた挙げ句、被害者が必死の思いで右包丁を被告人に向けているのもかまわず、正面から飛びかかって被害者を壁に押し付けながら包丁を奪い返し、順手に持った右包丁で被害者の左下腹部、腹部中央部、右胸部、左側胸部を続けざまにそれぞれ力任せにためらうことなく突き刺して殺害したものであって、執拗で残忍なものであるばかりでなく、前述のとおり、被告人は、殺害する前に被害者が前件を警察に申告したことの恨みを晴らしにきたことを宣告した上で実行しようと考えていたところ、そのとおりの手順を踏んで殺害しているのであって、極めて冷酷、非情な犯行であるというべきである。

4  犯行の結果、遺族の被害感情等

被害者は、埼玉県で農業を営んでいた両親の三女として生まれ育ち、同県内の商業高校を卒業後、日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社)に就職して約二六年間にわたって精勤し、明るい性格で真面目に働くとの評価が高く、また、前記団地に独り住いをしながらしばしば実家を訪れては既に夫を亡くしていた年老いた母に孝行を尽くすなど家族思いの当時四四歳の女性であった。しかるに、平成元年一二月の深夜に被告人と偶然出会ったことから、被害者は強姦致傷等の重大な被害を受けてしまったが、このことを家族らにも打ち明けずに独り自分の胸のうちに隠し通そうとしたものの、被告人から右事実を種に金員を要求される等の経緯の中で勇気を奮って警察に届け出た。ところが、被害者は、この当然の対応を筋違いにも逆恨みされて被告人に殺害されたのであって、前件及び本件を通じて被告人にその人格と生命を全く一方的に蹂躙されたもので、その無念さは察するにあまりあり、また本件犯行に際して受けた被害者の恐怖感、絶望感、苦痛は、絶大なものである。このように、犯行の結果は誠に重大、悲惨である。

現在八〇歳になる被害者の母や二人の姉と弟らは、被害者が突然惨殺された悲報に接して大きな衝撃を受けており、とりわけ最愛の娘にこのような形で先立たされた母の悲嘆、絶望感は計り知れないものと思われる。遺族らは、本件事件後に前件の経緯を初めて知って怒りを募らせているが、被告人は全く慰謝の措置をとっていない。遺族らが、被告人に対して極刑をもって臨むべきことを異口同音に強く求めているのは至極当然である。

5  被告人の前科、犯罪性行等

被告人は、殺人罪の前科を有するが、その概要は、同事件の確定判決によれば、被告人は、三四歳当時、家出中であった高校二年生の乙川夏子(当時一六歳)と偶然に知り合い、性交渉を持った上、その就職口を探してやるなどしながら数日間行動をともにした後の昭和五一年八月、両親のもとに帰る気持を固めていた同女が被告人に邪険な態度をとったことから、恋着の情が憎悪に転じるとともに、同女が自己の思いどおりにならなくなった憤激も加わって、確定的殺意のもとにその頚部に浴衣の腰ひもを巻いて締め付けて絞殺したというものであり、同事件によって被告人は同五二年一月に懲役一〇年の刑に処せられて岡山刑務所で服役することとなり、同六一年一〇月に右刑の執行を受け終わった(仮出獄は、同五九年一二月)のである。

右事件の内容に着目すると、女性に対して一方的に裏切られたとして怒りを募らせ、それが殺意に転化してしまう点に本件との類似性がみられるし、また浴衣の腰ひもで被害者乙川の頚部を締め付けたという犯行態様は、本件被害者に対する強姦致傷等の前件に関する東京地方裁判所判決が、その犯行態様について「両手で被害者の頚部を強く締め上げて同女を失神させた上、姦淫中の性的快感を高めるため近くにあった電気コードで同女の頚部を締め上げるという危険きわまりないものである。」旨指摘していることや、更に、本件犯行に際しても被告人は被害者殺害の手段として包丁を準備するとともに、当初は絞殺という方法も考えていたことからロープ二本購入して準備していること等に照らして、いずれも被告人が持つ危険な犯罪性行の徴憑として捉えられるものというべきである。

そして、被告人は右乙川殺害事件の罪を償うべく昭和五九年一二月まで服役生活を送ったのであるが、右刑の執行終了時から本件の発生までには、一〇年余りしか経っておらず、しかもその間被告人は、同六三年三月には窃盗、道路交通法違反の罪で懲役一年二月に処せられて府中刑務所で服役し、その出所後約一〇か月しか経たない平成元年一二月に本件被害者に対する強姦致傷等の犯行を犯して同二年三月に懲役七年に処せられて三たび服役したのに、同九年二月二一日札幌刑務所を満期出所してから僅か二か月弱で本件犯行に及んだというのであって、右一連の経過からも被告人の犯罪性行は相当に深化しているものと評価しなければならない。したがって、原判決が、右乙川殺害事件について、二〇年以上前に起こした衝動的な単純殺人の事案であるとのみ評価しているのは、これに端を発し、次第に固着した被告人の犯罪性行を見過ごすもので相当でないといわざるを得ない。

6  殺害後の情状等

被告人は、犯行現場から逃走するに際して、被害者が文字どおり血の海の中に横たわっているのも意に介さずに、床に落ちていた同女のハンドバッグを窃取し、しかも逃走時に使用したタクシー料金を右ハンドバッグに入っていた財布の中の現金から支払っているのであるが、これらは被害者を殺害したことに対する後悔の念が、被告人には全く生じていなかったことを示す冷淡な行動と評価すべきであり、殺人の犯行後の情状として見落とすことができない。

そして、被告人は、前件においても、冬季の深夜、失神した状態の被害者を半裸のまま戸外に放置して逃走し、生命の危険にさらしたばかりか、逃走する際にやはり被害者のショルダーバッグを窃取しており、また、前記乙川殺害事件にあっても、同女を絞殺した後、その場から同女の金品を窃取したことを被告人自身が自認する(原審乙4号証、被告人の原審公判供述)ところであって、以上の各犯行後の行動を通じてみた場合、被告人の根深い冷淡な性格をよくみてとることができる。

7  社会的影響

本件犯行は、その発生直後から、約七年前の強姦等の被害について被害者が正当にも捜査機関に申告したことを逆恨みされて、出所して間もない被告人から自宅を突き止められ、待ち伏せされて惨殺されたという特異な犯行動機や凄惨な被害結果が報道機関等により大きく取り上げられ、近隣住民に与えた恐怖感や社会一般に与えた衝撃は甚大であり、また犯罪被害者、とりわけ性犯罪被害者に被害申告を躊躇させる悪影響を与えかねないことにも一定の考慮がなされるべきで、本件は刑事司法に対する重大な挑戦であり、刑事司法制度の根幹に関わるという検察官の所論には直ちに同調できないにしても、右の意味での社会的影響には大きなものがあって無視できない。

8  被告人の反省の情

被告人は、本件犯行自体は捜査段階から自白しているものの、その当初においては、例えば、凶器である包丁の取得経緯のような重要な事項につき、真実は出所後八日目の平成九年三月一日に被害者殺害の用に供する目的で購入していたのに、犯行の約二週間前の同年四月四日に仕事で行ったビルの作業現場で偶然拾ったなどと客観的事実に反する虚偽の供述をするなどして、捜査官の出方を窺うような態度を示していた。また、原審公判手続の途中から、犯行現場に向かう時点では殺すかどうか五分五分の気持で、被害者の出方次第で警察に届け出たことを謝罪すれば殺害するまでのつもりはなかったなどと供述するようになり、当審公判廷でも基本的に右供述を維持しているが、これが関係証拠に照らして到底是認できないものであることは原判決が説示するとおりである。更に、被害者に対する気持等について、原審の最終陳述において、「自分の歪んだ考えによる行動で、被害者及び遺族に申し訳ないことをしてしまったと深くお詫びします。」と述べ、当審公判廷でも「本当に被害者や遺族に対して申し訳ないと思っています。私の命のある限りは被害者の冥福を祈っていきたいと思っています。」と供述するなど反省の言葉を口にしているところ、現時点において写経をするなどして被告人が被害者の冥福を祈っているにしても、原判決も指摘するように、原審公判廷で前件の経緯につき、「彼女にも落度があったんじゃないかと僕は思っています。」と述べるなど言語道断ともいうべき責任転嫁の供述をしていて、殺意を抱いた過程について事実に即した反省のないまま、前記のとおりの謝罪の言葉を述べているのである。以上の諸点に、被告人が遺族に対して全く慰謝の措置をとっていないことなども合わせ考慮しつつ、全体としてみると、被告人に心底からの真摯な反省の情があると認めることはできない。

三  以上のような本件の罪質、理不尽な犯行動機、犯行の計画性、執拗で残忍な犯行態様、結果の重大性、遺族の峻烈な被害感情、前科等から窺われる被告人の犯罪性行、殺害後の情状、社会的影響の大きさ、反省悔悟の念の乏しさなどを総合すると、その刑責は誠に重大であって、原判決も、右に挙げたのとほぼ同様の諸点を指摘した上で、被告人を死刑に処すべきとする検察官の主張は傾聴に値すると述べているところである。しかし、原判決は、他方において、(1)本件はあくまでも被害者一名に対する殺人と窃盗の事案であること、(2)本件殺人は、その動機が個人的な恨みであって、保険金目的や身代金目的の殺人のように利欲的動機によるものではないこと、(3)本件殺人には、計画性が認められるものの、緻密で周到な計画に基づく犯行とはいい難いことを挙げ、更に、(4)被告人が、大筋では事実関係を認めつつ、原審公判廷において被害者や遺族への謝罪の気持を口にしている点を、表面を取り繕った口先だけのものと断定することはできず、被告人の中に人間性の一端がなお残っていると評価することができるなどとして、これらの事情も合わせ考慮すると、結論として無期懲役刑をもって臨むのが相当であるとしたのである。そこで、原判決が死刑選択につき消極方向に働く事情として特に重視すべきであるとした右の諸点について更に検討する。

前記最高裁判所昭和五八年判決は、死刑選択の基準の一つとして「結果の重大性」を挙げ、それに関連して被害者の数を基準要素としているので、それは結果の重大性を判断する上での重要な一要素であるが、同時にそれは必ずしも絶対的な基準ではないから、殺害された被害者が一名の事案であっても、当該事案における諸般の犯情、情状を考慮して極刑の選択がやむを得ないと考えられる場合があることはもちろんであり、この趣旨は、最高裁判所第二小法廷平成一一年一一月二九日判決(最高裁判所平成九年(あ)第六五五号)も確認するところである。そして、本件殺人の動機が被害者に対する個人的な恨みであって、保険金目的や身代金目的の殺人のように利欲的動機に基づくものでないことは原判決の述べるとおりであるにしても、本件における被告人の被害者に対する恨みなるものは、通常みられる人間関係の軋轢やもつれなどに端を発する、その意味で被告人側にもなにがしか同情すべき点や酌むべき点の伴う事案とは全く異なり、前記二、1で述べたとおり、前件の際、被告人が被害者に対し、「警察に言えばどんな目に遭うかもしれないぞ。」などと言って口止めしたが、そのような脅迫による一方的な口止めを被害者との約束と思い込んだ上、被害者を恐喝しようとした経緯の中で、警察へ届け出た同女の対応を裏切り行為であると決め付けて深く恨み、そのような筋違いの恨みを殺意に転化させた挙げ句、殺害行為に及んだものであって、極めて理不尽かつ身勝手なものと評するほかない、特異ともいうべき動機なのである。しかも、そのように恨まれるについて被害者には一点の落ち度もなく、このことに報復の意思の強固さや犯行の計画性の諸点を合わせ考慮すれば、その動機は殺害そのものを自己目的とするもので、動機の悪質さの点において、保険金目的や身代金目的の殺人の場合と比べても何ら選ぶところがないというべきである。

次に、(3)の点については、被告人が被害者に対する殺意を抱き、これを実行するまでの経緯、準備等犯行の計画性に係る事情は、前記二、2に認定したとおりであり、被告人は、札幌刑務所を出所して二日目には被害者の住居探索に着手して、遂にこれを見つけ出したこと、予め被害者を殺害するための包丁等を購入して準備し、右包丁に滑り止めのビニールテープを巻き付けていること、被害者の出勤又は帰宅の際を狙って殺害することとし、更に、被害者に対して前件につき被害申告したことの恨みを晴らしにきたことを宣告した上で殺害するという段取りまで考えていてそのとおり実行したこと、犯行後は居住先を引き払うつもりで衣類の一部をコインロッカーに預けるなどしていることなどの諸点を指摘することができるが、とりわけ本件犯行当日の朝、被害者の出勤時に殺害を実行しようとしたところ、足音が聞こえたことにより第三者から犯行を目撃される危険を察知するなどしていったん犯行を思いとどまり、改めて同日夜に被害者を待ち受けて犯行に及んだことは、殺害目的の実現に向けた周到さを示すものとして見落とすことができない。すなわち、本件は、強固な殺害意思のもとに、この種犯行としても高度の計画性に基づいて敢行されたものと評価すべきである。

また、(4)の点についても、被告人に一定の限度で反省の情が窺われることは否定できないとしても、前記二、8認定のとおり、その反省の内容は必ずしも十分なものとは言い難い上、そもそもこのような被告人の主観的事情は、被告人のために酌むべき情状であるにしても、この点を過度に重視することは適当でない。

以上を要するに、原判決が本件において死刑選択につき消極方向に働く事情として特に重視すべきであるとした諸点は、いずれも死刑の選択を避けるべき事情としては十分なものではないといわざるを得ない。そして、前述した本件犯行に至る経緯、本件犯行の罪質、理不尽な動機、犯行の計画性、執拗で残忍な犯行態様及び結果の重大性、並びに遺族の峻烈な被害感情、前科等から窺われる被告人の犯罪性行、殺害後の情状、社会的影響の大きさ、被告人の反省の念の乏しさなど本件記録に現れた一切の事情を総合考慮すると、他面において、被告人が本件犯行自体は捜査段階から自白していること、現時点において写経をするなどして被告人が被害者の冥福を祈っていることなど被告人のために酌量できる事情を最大限考慮しても、被告人に対する刑事処分は峻厳たらざるを得ない。もとより、死刑は、真にやむを得ない場合における究極の刑罰であり、その適用が慎重に行われなければならないことは当然であり、当裁判所もそのような観点から熟慮を重ねたが、前述したすべての情状に照らすと、その罪責は誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも、被告人に対しては死刑をもって臨むのもやむを得ないとの判断に至ったものであって、これと結論を異にする原判決は、前記(1)ないし(3)の諸点のほか、被告人の反省の情などを被告人に有利な情状として過度に斟酌したためその量刑を誤ったものといわざるを得ない。そうすると、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

四  自判

そこで、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により当裁判所において、更に次のとおり判決する。

原判決の認定した「罪となるべき事実」に法律を適用すると、被告人の原判示第一の所為は刑法一九九条に、同第二の所為は同法二三五条にそれぞれ該当するところ、原判示第一の罪について前記情状により所定刑中死刑を選択し、被告人には原判決摘示の累犯前科があるので同法五六条一項、五七条により原判示第二の罪の刑につき再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、同法四六条一項本文により原判示第一の罪について選択した死刑のほかは他の刑を科さず、被告人を死刑に処し、押収してある包丁一丁(東京高等裁判所平成一一年押第三一四号の1)は原判示第一の殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 仁田陸郎 裁判官 下山保男 裁判官 角田正紀)

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